何を目指して生きるのか本気で考えてみた part1

 

はじめに

今回のブログは少し抽象的で重めの話です。

大学生になると自由な時間が多かったので、なぜ今自分は此処に居て、何のために生きているし、何のためにこれから生きていくのだろう?と考えることが多くなりました。これから控えている就職や結婚は、大きく自分の人生を左右し、確実に自分自身に影響を及ぼします。これまで、外から与えられてきた課題に対して、如何に最大限の努力をして、後悔しない人生を進めていくか、ということを考えてきた受動的な私にとっては、就職・結婚という主体的な選択をすることには慣れていません。

そこで、何のために生きているのか、きちんと自分の中で定義して、それに沿って生きていけるような自分の為の教科書を作ろう!と考えたのがそもそものこの話の始まりです。私はカントやヘーゲルなどの哲学書をじっくり読みこんだわけでもないですし、実際独特のヘンテコな見解に至っていると思います。がしかし、幸福に向かっていくための自分の在り方とは大体こうだろうな、と自分の中では納得できるものにはなりましたので、就職にあたって考えを纏めておこうと筆を執った次第です。

 

人生の努力すべき方向とは何か

まず、私の中の原理として、現状に甘んじてはいけないというのが第一原則です。「何らかの努力をしている自分」が前提に来ます。自分の中で最大限の努力をすることで、例え良い結果が出なくても、その努力の過程を楽しめれば良いだろう、というのが私の中での一番です。

では、どういう努力をすれば良いのか、について結論から述べたいと思います。それは、以下の3つの努力です。

  1. 多くの人との親密度を高める努力
  2. 他人と正の感覚・感情を共有する努力
  3. 時間当たりの生産性を高める努力

それぞれについて、私の持論を元にしながら、詳しく見ていきたいと思います。

私のここのブログでは、抽象的・論理的に自分の行動原理をどうするか詰めていった話をしますので、こうこうな場合にはこうする、のような具体的な、対処療法的な話はしません。そして、これは自分が幸福になる為にどのような努力をすれば良いのか、と考えていった結果報告でもあります。

 

多くの人との親密度を高める

これについては、「多くの人との」の部分と、「親密度を高める」の部分について、それぞれ私の意見を持っていますので、それを紹介したいと思います。

「親密度を高める」ってどういうこと?

親密度がどうやったら高まるのかというと、当たり前ですがコミュニケーションの中で高まっていくんですよね。そこで、親密度が高まるような幸福なコミュニケーションってどういうコミュニケーションなの?ということについて考えました。

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図解 幸福なコミュニケーション

私の考える幸福なコミュニケーションについては、上のようになっています。

この図の中で重要なのは、➂の「双方の理念・目標が決まっている」というところです。なぜ親密になるのか、については、2人或いは3人以上が、同じ目標を持っているからである、と強く私は主張したいです。スポーツチームは、強豪校の相手に勝とう!とリチーム内で共通の目標が出来るからこそ結束感が生まれます。そのように、皆で共通の目標があるという前提があって、それに向けて同じ方向を向いて支え合うからこそ、人と人とは親密になっていくのだ、というのが私の第一の主張です。

その共通な目標を持っている中で、仲良くなる為の手法が存在する、と私は考えます。それを私の中では「愛する技術」という定義をしています。では、その「愛する」とはどういったことを指すのか、について図式化したのが以下の図です。

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愛する技術の4要素「配慮・尊重・責任・知」

愛する技術には、4要素あります。「配慮・尊重・責任・知」です。これは、フロムの「愛するということ」という哲学書から抜粋してきたのを私が少しアレンジした内容です。

まず、自分の心と相手の心が存在します。お互いに体調や快不快に対して気遣い合うことが、「配慮」です。お互いに比較することなく、その人のバックグラウンド、個性を認め合い、互いに正の感覚・感情を共有するように努めることが、「尊重」です。「配慮」「尊重」は心の動きですので、そのような動作を行えるようになる為にに必要なのが、頭でお互いの心の状態を知ること、「知」です。このような、頭と心を総動員して「配慮」「尊重」「知」の3要素を総合的に行えることが、「責任」である、というものです。

また、この愛する技術の4要素を総合的に行う為には、「信じる」という心の動きが必要になります。何を信じるのかというと、「人の価値観の多様性」「お互いの成長の可能性」「各構成員が目標や理念の元に集合し、気遣いをしながらその共通目標に向かって進んでいけるような場(絆の場)の可能性」です。「信じる」という心の動きは、他人から「愛の技術によって愛される」ことで初めて自分の中に生まれます。

ですから、「愛する」という動作により他人を愛することが出来る人間とし、お互いに愛することの出来る状態となり、心を近づける、というものが②の「双方向的に、生産的に愛することで、心の距離を近づける」という、理想的な「幸福なコミュニケーション」の状態の一側面です。

最後に「幸福なコミュニケーション」に必要なのが、①「挨拶」という要素です。これは、簡単には、まずコミュニケーションを行う前に、自他の存在を認め合う為に要する「挨拶」という側面があります。挨拶されずにコミュニケーションに至っても、何となく場が盛り上がりませんよね。まず初めに、自分のことも、相手のことも、その存在を許容しているよ!ということを伝える為に、挨拶は必要だと思います。また、この「挨拶」には、深く相手のことを「知」るために、自己紹介をし合う、という側面も含まれます。相手の過去や、現在の興味関心を知ることなしに、「愛し合う」ことは出来ません。ですから、一番初めに相手のことをよく知っておこう、という動作が「挨拶」であると私の中では定義しています。

①~➂の要素が出来上がっている中で、喜びや悲しみの感情を現在共有し合っている状態が「幸福なコミュニケ―ション」であると思っています。

 

多くの人と付き合っていくときに気を付けることとは?

自分と相手の幸福の為に、多くの人と付き合いをする上で、私は一つ決め事をしました。それは、「愛する優先順位」を付けることです。優先順位をつけるとなると、誰かを尊重しないことになるのではないかと思われるかもしれませんが、平等と公平は違います。自分も他人も幸せになれるのは似た価値観の人同士なので、似た価値観同士の触れ合いが強まっていくのは仕方のないことです。全て個を尊重したうえで、かつ愛する技術を駆使するのはその場その場での自分の価値観に近い人から行っていくのが理想的だ、と私は考えています。

 

他人と正の感覚・感情を共有する

先ほどの愛する技術の4要素、でお話ししましたが、嬉しいだとか楽しいだとか、そういう正の要素を共有できるように自分を持っていくことが、努力の方向性の一つだと思っています。能動的に相手に合わせに行くということですね。社会心理学の本に書いてあったんですが、この時、どういうことに気を付ければそのような状態に持っていけるか、というのが下の図になっています。

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バランス理論

この理論では、「自分」「他人」「対象」の3者が存在し、それぞれに①②➂の好き嫌いのベクトルを持っています。好きなベクトルは「+」嫌いなベクトルは「-」で表現されています。①②➂の掛け算が、最終的に「+」になるように持っていけば、人と正の要素を共有できるようになる素地が整うと私は思っています。ですから、人を好きになりたい時は対象への好き嫌いの感情を合わせにいく、といった塩梅です。人を好きになることで、幸福なコミュニケーションを行えるようになれると私は考えています。

ここで注意したいのが、自分の価値観を失ってはいけません。自分という個が存在していて、それを自分で理解し尊重した前提で、そのバックグラウンドの中で相手に合わせに行きましょう。でないと、自分と相手の「尊重」のバランスが崩れてしまいます。

 

時間当たりの生産性を高める

これは、まず「生産性」とは何ぞやということについて決めておかなければなりません。生産性とは、「自分・他人・組織・社会の為に役立つ方向に目的を持たせた時の仕事量のことである」と定義しておきたいです。

この時の仕事量とは、自分他者の金銭的・能力的な制約を加味した時に、他人からの要請や、自分の成長の為、といった要求に応じて、その要求と制約に向かって進んでいるか、という量的な要素に、特に他者への思いやりやコミュニケーションの為、といった価値のある対象に向かって進んでいるか、という質的な要素を掛け合わせたものであると決めておきます。

目的が間違った成果というのは何の意味も持ちませんし、あるいは壊滅的なものとなるかもしれません。確固とした価値のある目的に向かって仕事は為されるべきです。それでは何処に仕事の目的が向けば良いかというと、他者への思いやりや、コミュニケーションに向けてです。

体調や快不快に配慮して、自分の出来る範囲で最大の仕事を出来るだけ為していくことを責任として、組織の各構成員がそれぞれにその期待に応え、円滑に組織の運営が行われていくことが働きがいに繋がると考えています。それに加え、ありのままの自分の生産性を受け容れて評価してあげる、または評価してもらうことで、更なる働きがいに繋がってくるのではないでしょうか。

それに私は「時間当たりの」という文言を加えました。何のために効率化を図るのかというと、職場や社会、家庭でのコミュニケーションをより楽しみ、また、働きがいを謳歌する為です。目的をはっきりとさせて仕事へ向けて努力することで、幸福へと繋がるのではないでしょうか。

 

おわりに

このような抽象的で面白みのない話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。私の脳内の整理の為のブログでした。これから私は就職し、もしかしたら結婚して家庭を持つことになるかもしれません。その中で、今回考えた「幸福になる為の努力」を惜しまずに為していって、自分も周囲も明るく楽しく生きていければ良いな、というのが私の理想論です。

このブログを読んでくださってる皆さんの更なる幸福を私は願っています。